相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(ともに健在)
子供:2人(いずれも会社員。家業を継ぐ気はない)
年齢:夫M76歳・妻73歳
終活状況:財産は預貯金より不動産・事業資産が中心。特に備えはしていない
Mさん夫婦(夫76歳・妻73歳)は、地元で長年、小さな商店を営んできました。夫婦二人三脚で店を切り盛りし、地域に根ざした商売を続けてきたのです。店舗のある建物も、その隣にある事業用の土地も、二人が若い頃から少しずつ手に入れてきた、いわば人生そのものでした。
子供は2人。いずれも独立して会社員となり、別の土地で家庭を築いています。盆や正月には孫を連れて帰ってきてくれますが、「家業を継ぐ気はない」というのは、ずいぶん前からはっきりしていました。Mさん夫婦も、それを無理強いするつもりはありません。「自分たちの代で店じまいするしかないだろうな」と、漠然とは考えていました。
ただ、その「店じまい」をいつ、どうするのかは、なかなか決められませんでした。
長年通ってくれる常連客のことを思うと、簡単には畳めません。「もう少し体が動くうちは続けよう」。そう言いながら、Mさんは70代半ばを過ぎても店に立ち続けました。財産といえば、店舗の建物と事業用の土地、それに商売道具や在庫。預貯金は、それほど多くありません。資産の大半は「事業に使っている不動産」だったのです。
財産分けについて、夫婦で真剣に話したことはほとんどありませんでした。「子供は2人だし、仲もいいから、適当に分けてくれるだろう」。Mさんはそう楽観していました。遺言書という言葉は頭をよぎりましたが、「うちみたいな小商いに、そんな大げさなものは要らない」と、つい後回しにしていたのです。
そんなある日、Mさんは店先で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。あまりに突然の出来事でした。
残された妻と2人の子供は、深い悲しみの中で、店と財産の整理に向き合うことになります。ところが、ここで大きな壁にぶつかりました。
Mさんは遺言書を残していませんでした。そのため、店舗の建物も事業用の土地も、相続人全員の共有という、宙ぶらりんの状態になってしまったのです。妻と子供2人、3人の共有名義です。
問題は、誰も事業を継がないのに、その不動産をどうするかで意見がまとまらないことでした。長男は「すぐ売って現金にしたい」と言い、長女は「お父さんが大事にしてきた店だから、しばらく残したい」と言う。妻は妻で、思い出のある建物を手放すことに踏ん切りがつきません。
共有になった不動産は、全員の合意がなければ売ることも貸すこともできません。意見が割れたまま、店のシャッターは閉じられ、誰も使わない建物と土地だけが残りました。固定資産税や管理の負担だけがのしかかり、建物は少しずつ傷んでいきます。
継ぐ人もいない、売ることもできない——。Mさんが人生をかけて築いた店は、誰の手にも渡らないまま、ただ「塩漬け」になってしまったのです。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースの根っこにあるのは、「分けにくい財産」を、分けやすい形に整えないまま亡くなってしまったことです。
預貯金であれば、金額を割って分配するのは比較的容易です。ところが、店舗や事業用の土地といった不動産は、簡単に切り分けられません。遺言書がないまま相続が起きると、こうした不動産は相続人全員の共有になります。
メモ:遺言書がない場合の不動産の行方
今回のケースでは、誰も事業を継がないにもかかわらず、その不動産が3人の共有になりました。売りたい人、残したい人、決めかねる人——意見が割れれば、全員一致のハードルは一気に高くなります。こうして、活用も処分もできない不動産が「塩漬け」になってしまうのです。
注意点
なお、共有状態を解消する手段として、裁判所に申し立てる「共有物分割請求」などの方法もありますが、時間も費用もかかり、家族の関係を損なうことにもなりかねません。具体的な解決方法はケースによるため、こうした状況に直面したら、早めに専門家へ相談されることをおすすめします。
このケースを防ぐには、遺言と家族信託という2つの制度を、それぞれの役割の違いを理解して使い分けることが有効です。両者はよく混同されますが、得意な場面が異なります。
遺言 は、「自分が亡くなった後、誰に何を遺すか」を決めておくものです。たとえば「店舗と事業用の土地は長男に」「預貯金は長女に」と指定しておけば、不動産が共有になることを防げます。誰も継がないなら「売却して現金で分ける」よう指示しておくこともできます。シンプルで、財産の最終的な行き先を決めるのに適しています。
家族信託 は、「自分が元気なうちから、亡くなった後まで」財産の管理や活用を信頼できる家族に託すものです。たとえば、Mさんが元気なうちに不動産を子に信託しておけば、Mさんが認知症などで判断できなくなっても、子の判断で店舗を売却したり貸したりできます。さらに、信託契約の中で「最終的に誰に財産を渡すか」まで決めておけるため、遺言に近い役割も果たせます。
メモ:遺言と家族信託の役割の違い
| 項目 | 遺言 | 家族信託 |
|---|---|---|
| 効力が生じる時 | 亡くなった後 | 契約した時(生前)から |
| 生前の財産管理 | できない | できる(認知症対策になる) |
| 得意なこと | 財産の最終的な行き先を決める | 生前〜死後を通じた柔軟な管理・活用 |
| 向いている場面 | 分け方をはっきり指定したいとき | 認知症に備えつつ事業資産を動かしたいとき |
今回のような「継ぐ人がいない事業用不動産」のケースでは、両者を組み合わせるのが理想的です。元気なうちは家族信託で管理・処分の権限を子に持たせ、いざというときに機動的に売却・賃貸できるようにしておく。そのうえで、財産の最終的な分け方は遺言(または信託契約)で明確にしておく——こうすれば、共有による「塩漬け」を確実に防げます。
ポイント:遺言+家族信託の使い分けメリット
なお、事業資産の承継は、相続税や事業の許認可、他の相続人の遺留分(一定の相続人に保障された最低限の取り分)など、さまざまな要素が絡み合います。最適な設計はご家庭の事情によって大きく変わりますので、専門家を交えて検討することをおすすめします。
「子供は仲がいいから、適当に分けてくれる」——その楽観が、人生をかけて築いた財産を「塩漬け」にしてしまうことがあります。とりわけ、店舗や事業用の土地といった分けにくい不動産は、遺言や家族信託で手当てしておかないと、相続人全員の共有となり、誰も活用できないまま立ち往生してしまうのです。
特に、財産に占める不動産・事業資産の割合が大きいご家庭、子供が家業を継がないことが分かっているご家庭、預貯金が少なく分けにくいご家庭にとって、遺言と家族信託の備えは、決して「まだ早い」ものではありません。
備えができるのは、ご夫婦がしっかりしている「今」だけです。「うちは小商いだから」と思っているご家庭ほど、一度立ち止まって考えてみてください。少しでも気がかりなことがあれば、どうかお早めにご相談ください。