相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:なし(夫とは死別し、一人暮らし)
子供:あり(ただし長年音信不通で疎遠)
年齢:75歳
終活状況:世話をしてくれる甥に財産を遺したいと思いつつ、特に備えはしていない
Yさん(75歳)は、夫を亡くしてから、長らく一人で暮らしてきました。子供は一人いますが、若い頃にいろいろあって関係がこじれ、もう何年も連絡を取っていません。今どこで何をしているのかも分からない、いわば音信不通の状態です。
そんなYさんを、何かと気にかけてくれたのが、近所に住む甥のSさんでした。亡くなった妹の息子で、子供の頃からYさんによく懐いていました。Sさんは「おばさん、一人で大丈夫?」と頻繁に顔を出し、買い物を手伝ったり、病院へ付き添ったり、電球の交換のような細々したことまで引き受けてくれました。
Yさんにとって、Sさんはもはや息子のような存在でした。「実の子は知らんぷりなのに、Sは本当によくしてくれる」。お正月にはSさん家族と食卓を囲み、Yさんは久しぶりに家族のぬくもりを感じていました。
Yさんには、ずっと心に決めていたことがありました。「自分が死んだら、お世話になったSに財産を遺してあげたい」。疎遠な実子ではなく、献身的に支えてくれた甥に。それが自分の気持ちへの、せめてもの恩返しだと考えていたのです。
その思いを、Yさんは何度かSさんにも伝えていました。「私に何かあったら、後のことはお願いね。家のことも、お金のことも、あなたに残すから」。Sさんは「縁起でもないこと言わないでよ」と笑っていましたが、Yさんは本気でした。
ただ、Yさんは具体的な準備を何もしていませんでした。遺言書という言葉は知っていましたが、「Sには口で伝えてあるし、あの子なら分かってくれる」と考え、つい後回しにしていたのです。「わざわざ書面にしなくても、気持ちは通じているはず」——。
そんなある日、Yさんは自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
Sさんは深く悲しみながらも、おばのために動きました。Sさんは誰も身寄りのいないYさんの喪主となって葬儀を執り行い、費用もすべて立て替えました。役所への届け出、病院の精算、部屋の片づけ——身内として、当然のように手を尽くしたのです。
ところが、しばらくして、Sさんは厳しい現実に直面します。
Yさんの財産を整理しようとしたところ、専門家からこう告げられたのです。「Yさんは遺言書を残していないので、甥であるあなたには相続権がありません。財産はすべて、お子さんが相続することになります」。
音信不通だったはずの実子に、Yさんの家も預金も、すべて渡る——。あれほど世話をした自分には、一円も入らない。Sさんは言葉を失いました。
それだけではありません。Sさんが善意で立て替えた葬儀費用も、相続人である実子の協力がなければ、回収のあてが立ちませんでした。Yさんが「Sに遺したい」と願った思いは、書面がなかったために、まったく届かなかったのです。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースには、見落としやすい落とし穴が2つあります。
ひとつ目は、「お世話になった人」が、必ずしも相続人ではないということです。
どれほど献身的に世話をしてくれても、法律上、財産を相続できる人(法定相続人)は決まっています。甥や姪は、相続人の順位が低く、上位の相続人がいると相続権が回ってきません。
メモ:法定相続人の順位
→ 今回は子(実子)がいるため、甥のSさんに相続権は回ってこない
たとえ何年も音信不通でも、実子は第1順位の相続人です。疎遠であることと、相続権があることは、まったく別の話なのです。遺言書がなければ、Yさんの財産は、自動的にこの実子へと渡ります。
ふたつ目は、死後の手続きや費用を担う人の問題です。
葬儀や納骨、役所への届け出、病院や施設の精算、家財の片づけ——人が亡くなると、誰かがこうした「死後事務」を担わなければなりません。Sさんは善意で引き受けましたが、立て替えた費用を取り戻すのは簡単ではありませんでした。
注意点
なお、立て替えた費用を相続財産から精算できるかどうかは、状況によって扱いが分かれ、ケースによるところが大きい問題です。こうした事態を避けるためにも、事前の備えが重要になります。具体的なご事情がある場合は、早めに専門家へ相談されることをおすすめします。
このケースは、3つの制度を組み合わせることで、防ぐことができました。
① 遺言で「甥に遺す」と明記する — 相続権のない甥に財産を渡すには、遺言書が不可欠です。「財産を甥Sに遺贈する」と書いておけば、Yさんの思いを法的に実現できます。形式不備や紛失を防ぐため、公正証書遺言(公証役場で作る遺言)が安心です。なお、今回は実子に遺留分(一定の相続人に保障された最低限の取り分)がある点に注意が必要で、配分はその点も踏まえて設計します。
② 死後事務委任契約で「その後」を託す — 葬儀・納骨・役所の手続き・家財の片づけといった死後の事務を、生前に甥Sさんへ正式に委任しておく契約です。費用の出どころもあらかじめ取り決めておけるため、善意の立て替えで終わる悲劇を防げます。
③ 任意後見契約で「判断能力低下後」に備える — Yさんは突然倒れましたが、もし認知症などで判断能力が低下していたら、財産管理や生活の手配を誰が担うかでも困ったはずです。元気なうちに「判断能力が低下したら甥Sに任せる」と任意後見契約で決めておけば、いざというときも安心です。
ポイント:おひとりさまの備えのメリット
特に、お子さんと疎遠であったり、頼れる相手が法定相続人ではない(甥・姪・知人など)というおひとりさまの場合、これらの備えは「あればいいもの」ではなく「ないと思いが届かないもの」です。遺留分や税務(相続人以外への遺贈は相続税が割増になる場合があるなど)も絡みますので、専門家を交えて設計することをおすすめします。
「あの子なら分かってくれる」「気持ちは伝えてある」——その思いだけでは、財産は届きません。どれほど世話になった相手でも、遺言書がなければ法的には他人と同じ。財産は、たとえ疎遠でも法定相続人である実子へと渡ってしまうのです。
特に、おひとりさまの方、お子さんと疎遠な方、法定相続人ではない人(甥・姪・知人など)にお世話になっている方にとって、遺言・死後事務委任・任意後見の備えは、決して「まだ早い」ものではありません。
備えができるのは、ご本人がしっかりしている「今」だけです。「お世話になったあの人に報いたい」という気持ちがあるなら、それを形にできるのは今のうちです。少しでも気がかりなことがあれば、どうかお早めにご相談ください。