相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし)
子供:独立済み
年齢:夫70歳・妻67歳
終活状況:任意後見で備えたいと考えているが、まだ着手していない
Kさん夫婦(夫70歳・妻67歳)には、忘れられない苦い経験がありました。数年前、夫の母が認知症になり、法定後見(判断能力が低下した後に、家庭裁判所が支援者を選ぶ制度)のお世話になったときのことです。
そのときの大変さを、Kさん夫婦は今もよく覚えています。家庭裁判所への申し立てには手間がかかり、選ばれた後見人は、面識のない専門家でした。母の財産は、その専門家の管理下に置かれ、何にいくら使うにも、いちいち説明と許可が必要になりました。「母のためのお金なのに、家族が自由に使えない」。もどかしさと窮屈さを、夫婦は痛いほど味わったのです。しかも、専門家への報酬は、母が亡くなるまで毎年かかり続けました。
「自分たちのときは、絶対にこうはなりたくない」。Kさん夫婦は、強くそう思いました。そして、ある方法を知ります。任意後見——元気なうちに、「将来、判断能力が低下したら、この人に支えてもらう」と、自分で支援者を決めておく契約です。「これなら、見知らぬ専門家ではなく、信頼できる人に任せられる。私たちはこれで備えよう」。夫婦の意見は一致しました。
ところが、です。「備えよう」と決めたものの、Kさん夫婦は、なかなか実際の行動に移しませんでした。
理由は、いつも同じでした。「まだ二人とも元気だしね」「急ぐことでもないだろう」。70歳になったばかりの夫は、健康そのもの。妻も持病ひとつありません。任意後見の必要性は分かっていても、「今すぐ」という切迫感がなかったのです。「来年あたり、落ち着いたら相談に行こう」。そう言いながら、一年が過ぎ、また一年が過ぎていきました。
そんなある日、何の前触れもなく、それは起こりました。
夫が、自宅で突然倒れたのです。脳出血でした。一命はとりとめたものの、後遺症は重く、夫は意思の疎通が難しい状態になってしまいました。判断能力を、失ってしまったのです。
妻は呆然としました。「あれほど備えようと話していたのに」。けれど、もう手遅れでした。任意後見契約は、判断能力があるうちにしか結べません。夫が判断能力を失った今、その道は完全に閉ざされていたのです。
夫名義の財産が必要になり、妻は手続きに動きました。しかし、行き着いた先は——皮肉にも、夫婦があれほど避けたかった法定後見でした。
家庭裁判所が選んだ夫の後見人は、やはり面識のない専門家。夫の財産には逐一の制約がかかり、専門家への報酬も発生します。義母のときに味わったあの窮屈さを、今度は自分たちが、まったく同じ形で背負うことになったのです。
「分かっていたはずなのに」。妻は、繰り返しそう思いました。避ける方法を知っていながら、「まだ元気だから」と先延ばしにしたことで、自ら、避けたかった結末を招いてしまったのです。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースが教えてくれるのは、「知っていること」と「備えていること」は、まったく違うということです。
Kさん夫婦は、法定後見の使いにくさも、任意後見という選択肢も、よく知っていました。それでも結末を防げなかったのは、「いつかやる」が「ついにやらない」になってしまったからです。
ここで改めて押さえたいのが、任意後見と法定後見の決定的な違いです。
メモ:任意後見と法定後見の違い
| 項目 | 任意後見 | 法定後見 |
|---|---|---|
| いつ準備する | 判断能力があるうち | 判断能力が低下した後 |
| 支援者を選ぶ | 自分で選べる | 家庭裁判所が選ぶ |
| 親族がなれるか | 自分で指定できる | 専門家が選ばれることも多い |
| 財産の使い方 | 契約である程度設計できる | 本人のためのみ・制約が厳しい |
最大のポイントは、判断能力を失った後では、任意後見はもう選べないということです。そうなると、残された道は法定後見が中心になります。Kさん夫婦が避けたかったのは、まさにこの法定後見の窮屈さでした。
そして、見落とされがちなのが、判断能力の低下は、認知症のようにゆっくりとは限らないという点です。脳出血や脳梗塞、事故などで、ある日突然、判断能力を失うこともあります。「兆候が出てから考えればいい」では、間に合わないのです。
注意点
なお、法定後見で専門家が選ばれるかどうかや、財産の使途がどこまで制約されるかは、事案によって異なり、ケースによるところもあります。とはいえ、任意後見で「自分で備える」ほうが、選択の自由が大きいのは確かです。判断に迷う場合は、早めに専門家へ相談されることをおすすめします。
このケースは、「決めたこと」を「先延ばしにしない」ことさえできれば、防げました。具体的には、次の備えを「今」始めることです。
① 任意後見契約を、元気な今すぐ結ぶ — 「将来、判断能力が低下したら、妻(または信頼できる人)に支えてもらう」と契約しておけば、いざというとき自分で選んだ人に財産管理や生活を託せます。突然の脳出血のような事態でも、法定後見を避けられる可能性が高まります。大切なのは、「来年」ではなく「今」結ぶことです。
② 見守り契約で、日常から備える — 任意後見は「判断能力が低下したとき」に効力を持つ契約です。それまでの間を補うのが見守り契約で、専門家などが定期的に連絡・訪問し、心身の変化を早期に把握します。任意後見へスムーズに移行する橋渡しにもなります。
③ 家族信託で、財産管理をより柔軟にする — 任意後見とあわせて家族信託を使えば、財産の管理・活用の自由度がさらに高まります。たとえば、判断能力が低下しても、信託の設計に沿って家族の判断で財産を動かせるようにしておけます。後見制度の使途制約を補う備えとして有効です。
ポイント:備えのメリット
繰り返しになりますが、これらの契約はいずれも判断能力があるうちにしか結べません。そして、その「うち」がいつまで続くかは、誰にも分かりません。「まだ元気だから」は、備えを始める理由にこそなれ、先延ばしの理由にはならないのです。どの制度が合うかは事情によって異なりますので、専門家を交えて、まずは一歩を踏み出すことをおすすめします。
「いつかやろう」「まだ元気だから」——その先延ばしが、避けたかったはずの結末を、自らの手で招いてしまうことがあります。任意後見という解決策を知っていても、行動に移さなければ、いざというとき何の役にも立ちません。そして判断能力の低下は、ある日突然、予告なくやってくることがあるのです。
特に、法定後見の使いにくさを経験した方、任意後見で備えたいと考えている方、そして「まだ元気だから」と着手を先延ばしにしている方にとって、任意後見・見守り契約・家族信託の備えは、決して「まだ早い」ものではなく、「今すぐ」始めるべきものです。
備えができるのは、ご夫婦がしっかりしている「今」だけです。「来年」ではなく、どうか「今」、その一歩を踏み出してください。少しでも気がかりなことがあれば、お早めにご相談ください。