相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし+同居の子)
子供:1人(知的障害があり、財産管理や一人での生活が難しい)
年齢:夫76歳・妻73歳、子30歳
終活状況:「親亡き後」が気がかりだが、具体的な備えはしていない
Dさん夫婦(夫76歳・妻73歳)には、知的障害のある一人息子のHさん(30歳)がいます。Hさんは日中、福祉作業所に通い、家では両親と穏やかに暮らしてきました。一人での生活や、お金の管理は難しく、身の回りのことには支援が必要です。
夫婦には、ほかに子供はおらず、きょうだい(Hさんのおじ・おば)にあたる親族もいませんでした。つまり、Hさんを支えられるのは、両親である自分たちだけ。Dさん夫婦にとって、最大の気がかりは、ずっと同じでした。「自分たちがいなくなったら、この子はどうなるのか」。
その不安は、年を追うごとに重くなっていきました。ある日、夫婦は二人でHさんの将来について話しました。「私たちも、もう若くない。Hのために、何か手を打たないと」。妻も深くうなずきます。けれど、いざ「何を」と考えると、二人とも見当がつきませんでした。
役所や福祉の窓口で「成年後見」という言葉を耳にしたことはありました。でも、手続きは難しそうだし、どこに相談すればいいのかも分からない。「Hのための財産は、いくらか遺してある。私たちが元気なうちは、私たちが面倒を見ればいい」。そう考えて、夫婦は具体的な備えを、つい先送りにしてきたのです。「そのうち、ちゃんと相談に行こう」——その「そのうち」は、なかなか訪れませんでした。
ところが、運命は残酷でした。
まず夫が病に倒れ、闘病の末に他界します。深い悲しみの中、妻は「これからは私がHを守らなければ」と気力を奮い立たせました。しかし、夫の介護と看病で心身ともに疲れ切っていた妻もまた、後を追うように体調を崩し、夫の死から半年後、帰らぬ人となってしまったのです。
両親を相次いで失い、Hさんは一人、取り残されました。
Hさんは、両親の財産を相続しました。お金は、確かにあったのです。しかし、Hさん自身は、その財産を管理できません。預金を引き出すことも、支払いをすることもできない。相続した財産は、事実上凍結されてしまいました。
Hさんを支えるには、家庭裁判所に申し立てて法定後見人を選任してもらう必要があります。実は、こうした身寄りのない方のために、「市区町村長による申立て」という制度が用意されています。親族がいなくても、お住まいの市区町村長が本人に代わって後見開始の申立てをすることができるのです。 その意味では、Hさんを支える道が、法律上まったく閉ざされていたわけではありませんでした。
けれど、問題は「時間」でした。 両親は生前、Hさんの状況を福祉や行政に事前に相談しておらず、支援につながる備えを何もしていなかったのです。そのため、Hさんが取り残されたことに周囲が気づき、行政が状況を把握し、市区町村長申立ての手続きへとつながるまでには、どうしても時間がかかってしまいました。
その間も、Hさんの生活は待ってくれません。日々の生活費、福祉サービスの利用料——支払いは次々と滞っていきました。後見人が選任されるまでの空白の期間、Hさんの暮らしは立ち行かなくなり、ついに行政が本格的に介入する事態にまで至ったのです。
制度そのものは、あったのです。 それでも、両親が元気なうちに何一つ準備をしていなかったために、その制度が動き出すまでの「空白」が、Hさんを最も不安定な状況に追い込んでしまいました。
「Hのために」と願いながら、事前の備えをしなかったことで、最も守りたかった息子を、最も苦しい時間の中に置き去りにしてしまった——。それは、Dさん夫婦が決して望まなかった結末でした。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースが教えてくれるのは、障害のあるお子さんがいるご家庭では、「財産を遺す」だけでは、子を守れないということです。
最も深刻なのが、相続した財産が、子自身では管理できないという問題です。知的障害などで判断能力が十分でない場合、預金の引き出しや各種の支払いを、本人が行うことはできません。お金があっても使えない、いわゆる「資産凍結」の状態に陥ってしまいます。
メモ:「親亡き後」に起こりうること
法定後見人が選任されれば、その人が財産管理や支払いを担えます。しかし、選任には家庭裁判所への申し立てが必要で、どうしても時間もかかります。Dさん夫婦のように、生前に福祉や行政へ相談しておらず、支援につなぐ準備を何もしていないと、その空白期間に子の生活が立ち行かなくなるおそれがあるのです。
そして、このケースで特に重いのが、支える人が誰もいないという点でした。きょうだいもおじ・おばもいない。頼れる親族が一人もいない中で、両親が突然いなくなれば、支援の手が届くまでに時間がかかり、子が孤立してしまいます。
注意点
なお、後見人の選任までの期間や、その間の生活費の確保方法は、状況によって異なり、ケースによるところが大きい問題です。「親亡き後」の備えは特に専門性が高いため、できるだけ早く専門家へ相談されることを強くおすすめします。
このケースは、両親が元気なうちに、複数の制度を組み合わせて「親亡き後」の仕組みを作っておけば、防ぐことができました。
① 家族信託(受益者を子)で、財産管理の仕組みを作る — これが「親亡き後」対策の中心になります。親が元気なうちに、財産の管理を信頼できる人(専門家や支援団体など)に託しつつ、その財産から得られる利益は子(Hさん)のために使う設計です。これなら、親が亡くなっても財産が凍結されず、子の生活費や施設費を、託された人の判断で滞りなく支払えます。子に財産を直接持たせるのではなく、仕組みの中で守りながら使えるのが大きな利点です。
② 子の身上保護は「法定後見」で担う準備をしておく — 判断能力が十分でない子の身上保護は、親亡き後に家庭裁判所が選任する法定後見人が担います。重度の知的障害がある本人は任意後見契約を結べないため、親が元気なうちに福祉作業所や市区町村の窓口とつながっておくことが大切です。子の状況を共有しておけば、いざというとき速やかに法定後見の申し立て(親族がいなければ市区町村長申立て)につなげ、支援開始までの空白を短くできます。
③ 遺言書で、財産の遺し方を明確にする — 誰に何をどう遺すかを遺言で定め、家族信託と連動させておけば、相続の手続きもスムーズになります。きょうだいがいないご家庭でも、財産の行き先をはっきりさせておくことが大切です。
ポイント:「親亡き後」の備えのメリット
「親亡き後」の問題は、ひとつの制度だけでは解決できないことが多く、家族信託・法定後見への備え・遺言を組み合わせた総合的な設計が欠かせません。お子さんの状況や受けている福祉サービス、頼れる支援者の有無によって、最適な形は大きく変わります。専門家や福祉関係機関と連携しながら、早めに備えを始めることを強くおすすめします。
「自分たちが元気なうちは、自分たちが守ればいい」——その親心は痛いほど分かります。けれど、親はいつか必ず先に逝きます。そして、その時は突然訪れるかもしれません。財産を遺すだけでは、管理できない子を守ることはできず、支える仕組みがなければ、最も大切な子を孤立させてしまうのです。
特に、障害のあるお子さんがいるご家庭、親亡き後の生活と財産管理が心配な方、そして頼れる親族が少ないご家庭にとって、家族信託・法定後見への備え・遺言を組み合わせた備えは、決して「まだ早い」ものではなく、何よりも優先して取り組むべき課題です。
備えができるのは、ご両親がしっかりしている「今」だけです。お子さんの未来を本当の意味で守るために、どうか「そのうち」ではなく「今」、専門家とともに一歩を踏み出してください。少しでも気がかりなことがあれば、お早めにご相談ください。