これは、終活・相続のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。登場人物はフィクションですが、現実に起こりうるシチュエーションとオチを描いています。「うちは二人で支え合っているから大丈夫」と思わず、ぜひご自身や身近な方の状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし・結婚50年)
子供:なし
年齢:夫Fさん(82歳)・妻Kさん(79歳)
終活状況:「困ったら二人で何とかする」と考え、具体的な備えは何もしていない
秋の彼岸。Fさん(82歳)と妻のKさん(79歳)は、二人でゆっくりとお墓参りに出かけました。子どもには恵まれませんでしたが、半世紀を寄り添って歩んできた、仲のよい夫婦です。
「私たちも、そろそろお墓のことや、これからのことを考えないとねえ」
墓前で手を合わせながら、Kさんがぽつりと言いました。Fさんも「そうだなあ」とうなずきます。けれど、二人ともどこか他人事でした。「まだ二人とも元気だし、何かあっても、お互いが支え合えばいい」。それが、夫婦に共通する安心感でした。
Fさんは長年、家計と財産の管理をすべて一人で担ってきました。預貯金も、自宅も、ほとんどがFさんの名義です。Kさんは「お金のことは、ぜんぶお父さん任せ」で、通帳がどこにあるかも、はっきりとは知りませんでした。
数年前、市の終活相談会で「任意後見」という言葉を耳にしたことがありました。Kさんが「これ、私たちにも必要じゃないかしら」と言うと、Fさんは笑って答えました。
「後見なんて、もっと先の話だよ。今は二人ともしっかりしているじゃないか」
二人とも子どもがいません。きょうだいも、すでに亡くなったり、遠方で疎遠だったり。いざというとき、頼れる身内が近くにいない――それでも、当時の二人には、その事実が切実には感じられませんでした。
それから3年後。Fさんに、もの忘れが目立つようになりました。同じ話を繰り返す。財布をどこに置いたか分からなくなる。やがて病院で、認知症と診断されました。
Kさんは、夫を支えようと懸命に介護を続けました。けれど、Kさん自身もすでに79歳。足腰も弱り、長時間の介護は体に堪えます。ある日、自宅で転倒し、しばらく入院することになりました。
夫婦そろって、在宅での生活が難しくなりました。Fさんは施設へ入所することに。ところが、ここで思わぬ壁にぶつかります。
施設の費用を払おうと、Kさんが夫名義の口座からお金を引き出そうとしたところ、銀行で手続きが止まってしまったのです。
「ご主人さまの判断能力が確認できない状態ですと、ご本人の口座は、ご家族でも自由にお引き出しいただけません。原則として、成年後見制度のご利用をご検討ください」
Kさんは、言葉を失いました。夫の口座には、二人の老後資金が入っています。それなのに、そのお金に手をつけられない。
「私が代わりにできないなら、誰が……」
子どもはいません。頼れる身内もいません。Kさん自身の手元のお金も、わずかしかありませんでした。施設費の支払いは滞り、Kさん自身の生活費も足りなくなっていきます。
夫婦二人で支え合うつもりが、二人そろって立ち行かなくなってしまったのです。Kさんは、誰を頼ればいいのか分からず、ただ途方に暮れました。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
今回のつまずきの根っこは、「夫婦二人なら、お互いがお互いの支えになれる」という思い込みでした。
たしかに、二人とも元気なうちは、それで何の問題もありません。けれど、どちらか一方が認知症などで判断能力を失い、もう一方も高齢で支えきれなくなったとき、夫婦だけではどうにもならない事態が訪れます。
まず知っておきたいのが、認知症による「口座凍結」です。
メモ:認知症で口座が「凍結」されたあとの流れ
→ 「誰が代わりにお金を動かすか」を、元気なうちに決めておく必要がある
なぜ、配偶者でも引き出せないのでしょうか。それは、本人の財産は、本人のためにしか使えないというのが大原則だからです。たとえ長年連れ添った夫婦でも、相手の判断能力が失われると、その財産を勝手に動かすことは認められません。
そして今回深刻だったのは、夫婦そろって支援が必要になったことです。一方が認知症、もう一方も高齢で財産管理が困難。子も頼れる身内もいないため、代わりに動いてくれる人が誰もいませんでした。
注意点
なお、口座が止まったときの具体的な対応や、どの制度が最適かは、ご家庭の財産状況や健康状態によって変わります。個別の判断については、専門家に相談するのが確実です。
Fさん夫婦のような事態は、二人とも判断能力があるうちに、外部の支援を組み合わせて備えておくことで防げました。とくに、子のいない高齢夫婦には、次の3つの組み合わせが有効です。
① 任意後見契約(相互+第三者)を結んでおく
任意後見契約とは、判断能力があるうちに「将来、自分の判断能力が低下したら、この人に支援を任せたい」と、自分で支援者を選んでおく契約です。公正証書で作成します。
夫婦であれば、お互いを後見人に指定し合う(相互の任意後見)ことも考えられます。ただし、今回のように二人とも高齢で、同時に支えきれなくなるケースでは、それだけでは不十分です。そこで、信頼できる第三者(専門家や法人)を後見人(または予備の後見人)に加えておくことが、子のいない夫婦にとっての要となります。
② 見守り契約で「異変の早期発見」体制をつくる
見守り契約とは、専門家などが定期的に連絡・訪問し、生活や健康の変化を早めに察知するための契約です。子のいない夫婦は、異変に気づいてくれる人が身近にいません。見守り契約があれば、任意後見をスタートさせるべきタイミングを、専門家が見極めてくれます。
③ 家族信託で財産を「動かせる」状態にしておく
家族信託とは、元気なうちに財産の管理を信頼できる人(受託者)に託す仕組みです。たとえば、財産を多く持つ夫(委託者)が、信頼できる甥や姪、あるいは専門職を受託者として、自宅や預貯金の管理を託しておきます。こうしておけば、夫が認知症になっても、託された受託者の判断で自宅を売却したり、預金から施設費を払ったりできます。口座凍結を回避でき、妻の生活費も滞りなく確保可能。さらに、夫の死後は財産を妻へ、妻の死後は指定先へと、承継先まで決めておける点も大きなメリットです。
「夫婦二人で支え合えば大丈夫」――その絆は、何よりも尊いものです。けれど、二人とも高齢になり、片方が認知症になったとき、夫婦だけの支え合いには限界が訪れます。とくに子も頼れる身内もいない夫婦では、いざというとき代わりに動いてくれる人がいません。
一方が倒れ、もう一方も支えきれなくなったとき、口座凍結で老後資金にすら手をつけられず、夫婦そろって困窮する――これは、決して特別な話ではありません。
だからこそ、子のいない高齢夫婦にとって、「外部の支援を組み込んだ備え」はまさにマストです。見守り契約・任意後見契約・家族信託を組み合わせておけば、どちらが先に倒れても、生活を止めずに済みます。
大切なのは、二人とも元気な「今」だからこそ動ける、ということ。これらの備えは、判断能力があるうちにしか始められません。「まだ先」ではなく、お元気な今こそ、ご夫婦で一度話し合ってみてください。進め方に迷ったときは、行政書士などの専門家に相談することで、ご家庭に合った形が見つかります。