これは、終活・相続のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。登場人物はフィクションですが、現実に起こりうるシチュエーションとオチを描いています。「妻に残せば、それで安心」と思っている方こそ、ぜひご自身や身近な方の状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし・結婚48年)
子供:なし
年齢:夫Sさん(81歳)・妻Mさん(78歳)
終活状況:「全財産を妻へ」と遺言は作成済み。ただし、妻亡き後の行き先は決めていない
ある日の午後。Sさん(81歳)は、自宅の縁側で一枚の古い写真を眺めていました。亡き両親と、幼い頃の自分。そして、長く守ってきたSさんの実家が写っています。子どもには恵まれませんでしたが、妻のMさん(78歳)と二人、穏やかに暮らしてきました。
Sさんには、ひとつ気がかりがありました。「自分が先に逝ったら、Mが困らないか」。家計のことはすべてSさんが担ってきたからです。
そこでSさんは、数年前に遺言書をきちんと作っていました。内容はシンプルです。「全財産を、妻Mに相続させる」。公証役場で作る確かな遺言(公正証書遺言)です。
「これで、俺が先に逝ってもMは安心だ」
Sさんは、ほっとしていました。実家の土地も、長年の蓄えも、すべて愛する妻に渡る。やるべきことはやった――そう信じていました。
Sさんには、心の中でもうひとつ思い描いていたことがありました。「Mが亡くなったあとは、この実家の財産を、自分のきょうだいの子(甥)に継いでもらえたら」。あるいは、世話になった地域の福祉施設に寄付できたら。先祖から受け継いだものを、できれば自分の血筋や縁のある形で次へ渡したい。そんな思いがありました。
けれど、その思いを書面に残すことはありませんでした。「まずは妻に全部渡るのだから、その先のことは、Mが考えてくれるだろう」。そう思っていたのです。Mさんとも、なんとなく口にしたことはありましたが、はっきり話し合ったことはありませんでした。
数年後、Sさんは静かに息を引き取りました。遺言のとおり、全財産はMさんへ無事に相続されました。実家の土地も、預貯金も、すべてMさんのものになりました。
そして、それから2年。今度はMさんが亡くなりました。Mさんには子も、きょうだいもいません。Mさんは、自分の財産について遺言を残していませんでした。
すると、どうなったか。Mさんの財産は、法律にしたがって、Mさん側の遠い親戚へと流れていったのです。Mさんとは、生前ほとんど交流のなかった遠縁の人たちでした。
Sさんが守ってきた実家の土地も、その遠縁の手に渡りました。Sさんが心に描いていた「甥に継いでほしい」「地域に役立ててほしい」という願いは、どこにも実現されませんでした。
Sさんの甥は、後にこう漏らしました。「伯父さんは、あの家を大事にしていたのに……」。Sさんの思いは、誰にも知られないまま、消えてしまったのです。
Sさんは、決して準備を怠った人ではありません。「全財産を妻へ」という遺言を、きちんと作っていました。ここまでは満点に近い備えでした。
では、何が足りなかったのか。それは、「妻が亡くなった、その後」まで見通していなかったことです。
ここで大切な原則があります。自分の遺言で指定できるのは、あくまで「自分の財産の行き先」だけだということです。
Sさんが「妻へ」と渡した瞬間、その財産はMさんのものになります。そうなると、その先をどうするかは、Mさん自身が決めること。Sさんの遺言は、もうそこには及びません。
そしてMさんが遺言を残さずに亡くなると、財産は法律で定められた相続人へ流れます。
メモ:子も配偶者もいない人が亡くなったときの相続順位
→ 本人の「こう使ってほしい」という思いは反映されない
Mさんには子も、きょうだいもいませんでした。そのため、財産はMさん側の遠縁へと渡っていきました。Sさんが望んだ「夫側の甥へ」「地域へ寄付」という流れには、決してならなかったのです。
注意点
なお、誰が最終的な相続人になるか、財産がどこへ流れるかは、ご家族の状況によって変わります。個別のケースについては、行政書士などの専門家に確認するのが確実です。
Sさんの願いを実現するには、「妻へ、そしてその先へ」までを一本の仕組みで指定しておく必要がありました。ここで力を発揮するのが、家族信託です。
家族信託(受益者連続型)で「二段階の行き先」を決めておく
家族信託とは、元気なうちに財産の管理を信頼できる人(受託者)に託す仕組みです。このうち、「受益者連続型」という設計を使うと、財産から利益を受ける人(受益者)を、順番に指定できます。
たとえば、Sさんのケースなら、こう設計できます。Sさん(委託者)が、信頼できる甥(受託者)に実家や預貯金を託す。第一受益者を妻Mさんとし、Mさんが生きている間はその生活のために財産を使う。そしてMさんの死後は、財産を甥へ承継させる(あるいは寄付する)――。
こうしておけば、妻の生活を最優先で守りながら、妻亡き後の行き先まで、Sさん自身の意思で決めておけるのです。これは、遺言だけでは実現できない、家族信託ならではの大きな特長です。
あわせて、遺言書も補助的に作っておくと、信託に入れなかった財産の行き先も明確にでき、より安心です。
ポイント:家族信託(受益者連続型)を使うメリット
「全財産を妻へ」――この遺言は、配偶者を思う、立派な備えです。けれど、それだけでは「妻が亡くなった、その後」までは守れません。
とくに子のいない夫婦では、配偶者へ渡った財産が、その配偶者の死後、思いもよらない遠縁や国庫へ流れてしまうことがあります。「先祖の財産を血筋へ」「お世話になった地域へ」という願いも、書面にしなければ、決して実現しません。
だからこそ、「配偶者の生活を守りたい。そして、その先の行き先も自分で決めたい」という子のいない夫婦にとって、家族信託(受益者連続型)はまさにマストの備えです。遺言書と組み合わせれば、残された配偶者の安心と、自分の最終的な願いの両方を、確かな形で残せます。
大切なのは、お元気な「今」だからこそ動ける、ということ。「妻に残せば安心」で終わらせず、ぜひ一歩先まで考えてみてください。進め方に迷ったときは、行政書士などの専門家に相談することで、ご家庭に合った形が見つかります。