相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし)
子供:独立済み。夫の母(92歳)が健在
年齢:夫68歳・妻65歳
終活状況:親世代も自分たちも、特に備えはしていない
Oさん夫婦(夫68歳・妻65歳)は、定年後の暮らしを送りながら、夫の母(92歳)の世話を続けてきました。母は近くで一人暮らしをしており、年齢のわりに元気でしたが、さすがに90歳を超えてからは、何かと手助けが必要になっていました。
買い物や通院の付き添い、役所の手続き——夫のOさんは、自分も高齢になりつつある身で、母のもとへ足しげく通いました。妻も一緒になって支えます。自分たちの老後と、親の介護が同時にやってくる。いわゆる「ダブルケア」の真っただ中でした。
それでも、Oさん夫婦に深刻な危機感はありませんでした。母にはまとまった蓄えと、亡き父が遺した持ち家があります。「いざとなれば、母のお金で母の介護をすればいい」。そう考えていたからです。自分たちの老後資金も、コツコツ準備してきました。「親のことも、自分たちのことも、何とかなるだろう」。
終活や相続の話を、母とすることはありませんでした。「縁起でもない」と母が嫌がるだろうし、お金の話を切り出すのは、どこか気が引けたのです。母の通帳がどこにあるのか、どんな財産があるのか、Oさんは詳しくは知りませんでした。「元気なんだから、まだ先の話」。そう思って、つい後回しにしていたのです。
ところが、ある日を境に、状況が一変します。
母が、同じことを何度も尋ねたり、約束を忘れたりするようになりました。やがて認知症と診断され、症状は思いのほか早く進みます。一人暮らしが難しくなり、Oさん夫婦は母を介護施設に入れることを決めました。
問題は、その費用でした。入居一時金と毎月の利用料を、当然「母のお金」で払うつもりでした。Oさんは母の口座からお金を引き出そうと銀行へ向かいます。ところが——本人の意思確認ができないことを理由に、まとまった引き出しを断られてしまったのです。母名義の蓄えも、父が遺した家も、母の判断能力が失われた今、事実上凍結されていました。
施設の支払いは、待ってはくれません。やむなくOさん夫婦は、自分たちの老後資金を取り崩して、母の介護費用を立て替え始めました。月々の負担は重く、貯えは目に見えて減っていきます。
そして、ふと我に返ったとき、Oさんは愕然としました。母の介護に追われ、お金を立て替え続けるうちに、自分たち自身の老後の備えが、まったく手つかずのままだったのです。夫婦も、もう70歳目前。次に判断能力が衰えるのは、自分たちかもしれない——。
「親のことも自分たちのことも何とかなる」と思っていたはずが、親の備えも、自分たちの備えも、どちらも間に合わなくなっていたのです。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースの教訓は、「親世代」と「自分たち世代」、二世代分の備えを同時に考える必要があるということです。
まず押さえたいのが、認知症による「資産凍結」です。親が認知症で判断能力を失うと、本人は預金の引き出しや解約ができなくなり、子であっても代わりに手続きはできません。「親のお金で親の介護を」という当たり前の発想が、肝心なときに通用しなくなるのです。
メモ:認知症で凍結されうる主なもの
→ 親名義の財産は、子であっても勝手に動かせない
判断能力を失った後の手段は、家庭裁判所に申し立てる法定後見が中心になります。本人を守る制度ですが、時間も手間もかかり、専門家が後見人に選ばれて継続報酬が発生することもあります。その間、施設費用などを子が立て替えざるを得ない状況に陥りがちです。
そして、ダブルケアならではの怖さが、立て替えが、子自身の老後を侵食することです。親の介護費用を自分の蓄えから出し続けるうちに、子世代の備えまで手が回らなくなる。子もまた高齢ですから、次は自分が同じ問題に直面する——この連鎖こそが、最大のリスクです。
注意点
なお、預金凍結への対応や引き出しの可否は金融機関や本人の状態によって異なり、ケースによるところもあります。困ったときは、早めに専門家や金融機関へ相談されることをおすすめします。
このケースは、親が元気なうちに、そして自分たちも元気な今のうちに、二世代分の備えを同時に整えておけば、防ぐことができました。
① 親世代の家族信託で、介護費用の道を確保する — 親が元気なうちに、親の財産(預金や自宅)の管理を子に託しておく仕組みです。親が認知症になっても、託された子の判断で親の財産から介護費用を支払ったり、自宅を売却したりでき、資産凍結を防げます。「親のお金で親の介護を」を実現する、確実な方法です。
② 親世代の任意後見契約で、支援者を決めておく — 「親の判断能力が低下したら、子が支える」と元気なうちに決めておく契約です。法定後見と違い、見知らぬ専門家ではなく、子自身が親の財産管理や生活サポートを担える可能性が高まります。
③ 自分たち世代の備えも、同時に始める — このケースで最も見落とされたのが、Oさん夫婦自身の備えです。親の世話に追われていても、自分たちもすでに高齢期。夫婦自身も家族信託や任意後見を検討し、「次は自分」に備えておくことが欠かせません。二世代分を同時に設計することで、連鎖的な共倒れを防げます。
ポイント:二世代分を同時に備えるメリット
大切なのは、これらの制度はいずれも判断能力があるうちにしか始められないという点です。親も、自分たちも、元気な「今」が唯一のチャンスです。親に切り出しにくい話ではありますが、「親のため、そして自分たちのため」と前向きにとらえ、専門家を交えて家族で話し合うことをおすすめします。
「親のことも、自分たちのことも、何とかなる」——その楽観が、二世代分の備えを同時に手遅れにしてしまうことがあります。親が認知症になれば親のお金は凍結され、立て替えが子の老後を削り、その子もまた高齢で次の当事者になる。ダブルケアの世代には、この連鎖を断ち切る備えが必要です。
特に、高齢の親の介護をしている方、自分たちも高齢期に入りつつある方、親のお金で親の介護をと考えている方にとって、親世代と自分たち世代、両方の家族信託・任意後見の備えは、決して「まだ早い」ものではありません。
備えができるのは、親御さんもご自身も元気な「今」だけです。「まだ先の話」と思っているうちにこそ、二世代分の備えを始めてください。少しでも気がかりなことがあれば、どうかお早めにご相談ください。