相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(二人暮らし)
子供:2人(いずれも独立、関係は良好)
年齢:夫66歳・妻64歳
終活状況:退職金と持ち家あり。「仲がいいから大丈夫」と何も準備していない
Wさん夫婦(夫66歳・妻64歳)は、絵に描いたような円満な家庭を築いてきました。夫は昨年、長年勤めた会社を定年退職し、まとまった退職金を受け取りました。住まいは住宅ローンも完済した持ち家。2人の子供はそれぞれ独立し、孫を連れて頻繁に顔を出してくれます。家族の仲は、とても良好でした。
経済的にも家庭環境にも、不安らしい不安はありません。Wさん夫婦は、退職後の穏やかな日々を心から楽しんでいました。
そんなある日、夫婦は同窓会に出席しました。久しぶりに集まった同級生たちとの会話の中で、終活の話題が出ます。「うちは遺言書を作ったよ」「親が認知症で大変でね」——。そんな話を聞きながら、Wさんは内心こう思っていました。「うちは子供たちとも仲がいいし、財産のこともみんな分かってる。わざわざ準備しなくても、何とかなるだろう」。
妻も同じ考えでした。「あなたが元気だし、子供たちも優しいから、心配ないわ」。終活という言葉は知っていても、それは「家族仲の悪い家や、もっと高齢になってからの話」だと、どこかで思っていたのです。退職金や持ち家の管理も、すべて夫がしっかり握っていました。「お父さんに任せておけば安心」——それが家族の共通認識でした。
こうして、Wさん夫婦は何の準備もしないまま、月日を重ねていきました。
変化が訪れたのは、それから数年後のことです。夫が、同じ話を繰り返したり、約束を忘れたりするようになりました。最初は「年のせい」と笑っていた家族でしたが、症状は少しずつ進み、やがて夫は認知症と診断されます。在宅での生活が難しくなり、家族は夫を介護施設に入れることを決めました。
ところが、ここで一家は思わぬ壁にぶつかります。
施設の入居には、まとまった費用が必要でした。退職金もあるので、お金の心配はないはず——。妻はそう思って銀行へ向かいました。ところが窓口で、本人の意思確認ができないことを理由に、まとまった引き出しを断られてしまったのです。退職金も、夫婦の蓄えも、その大半が夫名義の口座にありました。
妻は焦り、子供たちにも相談しました。しかし、子供たちが親の口座からお金を引き出すこともできません。「家族なのに、どうして」。みんなが善意で動こうとしても、夫名義の財産は、夫の判断能力が失われた今、事実上凍結されてしまっていたのです。
頼れる手段は、家庭裁判所に申し立てる法定後見(判断能力が低下した後に、裁判所が支援者を選ぶ制度)しか残されていませんでした。申し立てには時間も手間もかかり、選ばれた後見人は家族ではなく専門家。あんなに仲のよかった家族が、まさかお金のことで右往左往することになるとは、誰も想像していませんでした。
「仲がいいから大丈夫」——その安心が、かえって備えを忘れさせていたのです。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースが教えてくれるのは、「家族の仲のよさ」と「相続・認知症への備え」は、まったく別の問題だということです。
多くの方が、終活や相続対策を「もめそうな家がするもの」と考えがちです。しかし、今回の本当の落とし穴は、相続争いではなく認知症による「資産凍結」でした。これは、どんなに仲のよい家庭にも起こりうる問題です。
認知症が進んで判断能力を失うと、本人は預金の引き出しや解約といった手続きができなくなります。そして、たとえ配偶者や子であっても、本人に代わって勝手に手続きすることはできません。これが「資産凍結」と呼ばれる状態です。
メモ:認知症で「凍結」されうる主なもの
→ どんなに家族仲がよくても、名義人本人の判断能力がなければ動かせない
判断能力を失った後の手段は、家庭裁判所に申し立てる法定後見が中心になります。本人を守る大切な制度ですが、選任まで時間がかかり、親族ではなく専門家が後見人に選ばれる場合もあり、継続的な報酬が発生することもあります。「お金はあるのに使えない」という、もどかしい事態に陥りかねません。
注意点
なお、預金の凍結や引き出しへの対応は、金融機関や本人の状態によって扱いが異なり、ケースによるところもあります。困ったときは、早めに専門家や金融機関へ相談されることをおすすめします。
このケースは、夫が元気なうちに備えておけば、防ぐことができました。判断能力があるうちにしか結べない制度ばかりなので、「まだ元気な今」こそが準備のチャンスです。
① 家族信託で、認知症による資産凍結を防ぐ — 元気なうちに、退職金や預金、自宅などの財産を、信頼できる家族(妻や子)に管理を託しておく仕組みです。夫が認知症になっても、託された家族の判断で施設費用の支払いや自宅の売却などができ、資産凍結を回避できます。
② 任意後見契約で、支援者を自分で決めておく — 「将来、判断能力が低下したら、この人に支えてもらう」と、元気なうちに決めておく契約です。法定後見と違い、見知らぬ専門家ではなく、自分が信頼する家族に財産管理や生活のサポートを託せます。
③ 遺言で、その先の相続まで備える — 認知症対策とあわせて、亡くなった後の財産の分け方も遺言で決めておけば万全です。仲のよいご家族でも、いざ相続となると意見が分かれることはあります。公正証書遺言(公証役場で作る 遺言)で、争いの芽を事前に摘んでおけます。
ポイント:備えのメリット
大切なのは、これらの制度はいずれも判断能力があるうちにしか始められないという点です。「うちは仲がいいから」「まだ元気だから」と後回しにしているうちに、その機会が失われてしまうケースは少なくありません。どの制度がご家庭に合うかは事情によって異なりますので、専門家を交えて検討することをおすすめします。
「うちは家族仲がいいから大丈夫」——その安心こそが、かえって備えを忘れさせてしまうことがあります。相続争いとは無縁の円満な家庭でも、認知症による資産凍結は、容赦なく訪れます。お金があっても引き出せず、仲のよい家族が右往左往する——そんな事態は、誰にでも起こりうるのです。
特に、退職金や持ち家など、まとまった財産があるご家庭、財産が一人の名義に集中しているご家庭、そして「うちは大丈夫」と備えを後回しにしているご家庭にとって、家族信託・任意後見・遺言の備えは、決して「まだ早い」ものではありません。
備えができるのは、ご夫婦がしっかりしている「今」だけです。仲がよく、元気な今だからこそ、落ち着いて準備ができます。少しでも気がかりなことがあれば、どうかお早めにご相談ください。