相続・終活のよくある失敗パターンあるあるシリーズです。 これはフィクションですが、現実に十分起こりうるシチュエーションとオチです。ご自身や、身の回りのどなたかの状況と重ねながら読んでみてください。
【主人公の状況】
夫婦:あり(再婚同士)
子供:双方に前の結婚でもうけた子がいる(夫に前婚の子2人)
年齢:夫H77歳・妻A70歳
終活状況:「全財産を妻に遺す」と自筆の遺言書を作成済み。前婚の子の取り分は考えていない
Hさん(夫77歳)とAさん(妻70歳)は、それぞれ伴侶を亡くしたあとに出会い、10年前に再婚しました。お互いに前の結婚で子供がいましたが、二人は「人生の最後を支え合える相手」として、穏やかな日々を重ねてきました。
Hさんには、前の妻との間に2人の子供がいます。ただ、離婚や再婚の経緯もあり、ここ数年はほとんど行き来がありません。年賀状のやり取りがある程度で、顔を合わせる機会もめっきり減っていました。一方、妻のAさんは、Hさんの体調を気づかい、家のことを一手に引き受け、献身的に支えてくれました。Hさんにとって、今のいちばんの家族はAさんでした。
財産といえば、二人で暮らす自宅(土地建物)と、いくらかの預貯金です。資産の中心は、長年住み慣れた自宅でした。
Hさんには、強い思いがありました。「自分が先に逝っても、Aには今の家で安心して暮らし続けてほしい」。前婚の子たちとは疎遠だし、家も預金もすべてAに遺したい——そう考えていたのです。
ある日、Hさんは書店で「自分で書ける遺言書」という本を手に取りました。「これなら費用もかからず、自分一人で書ける」。Hさんは早速、便箋に向かい、こう書きました。「私の全財産を、妻Aに相続させる」。日付と名前を入れ、印鑑を押して、引き出しの奥にしまいました。「これで安心だ。Aの将来は守られる」。Hさんは、心からそう信じていました。
しかしHさんは、ひとつ大事なことを見落としていました。前婚の子供たちにも、法律で保障された取り分があるということを——。
その後、Hさんは病で亡くなりました。Aさんは深い悲しみの中、Hさんの遺言書を見つけ、「あの人は最後まで私のことを考えてくれていた」と涙しました。
ところが、しばらくして事態は思わぬ方向へ動きます。Hさんが亡くなったことを知った前婚の子供2人から、連絡が入ったのです。内容は、「自分たちにも最低限の取り分(遺留分)があるはずだ。その分を支払ってほしい」という請求でした。
Aさんは戸惑いました。遺言書には「全財産を妻に」と書いてある。それなのに、なぜ——。
弁護士に相談すると、こう告げられます。「遺言書があっても、お子さんたちの遺留分(いりゅうぶん)まではなくせません。請求された以上、相当額をお支払いする必要があります」。
問題は、その支払いのお金がないことでした。Aさんが相続したのは、ほとんどが自宅という「動かせない財産」。手元の預貯金だけでは、とても足りません。前婚の子たちは「払えないなら、家を売って清算してほしい」と主張します。
Hさんが「妻に安心して住み続けてほしい」と願って遺した自宅。その家を、Aさんは手放さざるを得ない瀬戸際に立たされてしまったのです。夫の思いは、皮肉にも、妻をいちばん追い詰める結果になってしまいました。
このケースに潜んでいた失敗の原因は、次のとおりです。
このケースの最大の落とし穴は、「遺言書を書けば、すべて自由に分けられる」という誤解にあります。
たしかに遺言があれば、財産の分け方を自分で指定できます。しかし、法律には遺留分(いりゅうぶん)という制度があります。これは、一定の相続人に保障された最低限の取り分のことで、遺言によっても奪うことができません。
メモ:今回のケースの相続人と遺留分
遺留分を侵害された相続人は、侵害した相手(このケースでは妻Aさん)に対して、遺留分侵害額請求ができます。ここで重要なのは、現在の制度では、請求は原則として「お金で支払う」形になるという点です。
注意点
つまり、Hさんが「全財産を妻に」と遺したことで、かえって妻Aさんが、前婚の子2人へまとまったお金を支払う立場に追い込まれてしまったのです。手元に現金がなければ、自宅を売るしかない——これが「夫の思いが妻を追い詰める」という皮肉な結末の正体です。
なお、遺留分の具体的な金額や計算方法は、財産の評価や生前贈与の有無などによって変わり、ケースによるところが大きい分野です。再婚やお子さんの関係が複雑な場合は、早めに専門家へ相談されることをおすすめします。
このケースを防ぐには、複数の制度を遺留分への配慮とセットで組み合わせることが有効です。
① 遺留分を計算に入れた遺言を作る — 「全財産を妻に」と書くのではなく、前婚の子2人の遺留分をあらかじめ織り込んだ配分にしておくことが大切です。たとえば、自宅は妻に遺しつつ、子には遺留分相当の現金を用意しておく、といった設計です。形式不備や見落としを防ぐため、公正証書遺言(公証役場で作る遺言)が安心です。
② 支払い原資(現金)を準備しておく — 遺留分を請求されても妻が自宅を売らずに済むよう、生命保険などを活用して現金を確保しておく方法があります。生命保険金は受取人固有の財産となるため、遺留分の支払い資金として役立つ場面が多くあります(扱いはケースによります)。
③ 家族信託で「妻の住まい」と「最終的な承継先」を両立させる — 家族信託を使えば、たとえば「妻が生きている間は自宅に住み続けられ、妻の死後は特定の人へ承継させる」といった、二段階の設計も可能です。妻の住まいを守りつつ、財産の行き先をコントロールできます。
④ 任意後見・死後事務委任で「その後」まで備える — 再婚家庭では、判断能力が低下したときに誰が支えるか、亡くなった後の葬儀や手続きを誰が担うかでも、前婚の子と現配偶者の間で行き違いが起きがちです。任意後見契約(判断能力が低下したときに誰に何を任せるか決めておく)と、死後事務委任契約(葬儀・納骨・各種手続きを生前に委任しておく)を結んでおけば、いざというときに残された配偶者が孤立せずに済みます。
ポイント:再婚家庭の備えのメリット
再婚同士のご家庭は、相続人の関係が複雑になりやすく、「よかれと思った遺言」が裏目に出ることが少なくありません。遺留分や税務も絡むため、最適な設計はご家庭ごとに大きく異なります。専門家を交えて、全体を見渡した備えをされることをおすすめします。
「全財産を妻に遺せば、妻は安心だ」——その一途な思いが、かえって残された配偶者を窮地に追い込んでしまうことがあります。遺言書があっても、前婚のお子さんを含む相続人の遺留分まではなくせないからです。支払う現金がなければ、守りたかった住まいさえ手放すことになりかねません。
特に、再婚同士のご夫婦、前の結婚でお子さんがいる方、今の配偶者に多く遺したいとお考えの方にとって、遺留分に配慮した遺言や家族信託、任意後見・死後事務委任といった備えは、決して「まだ早い」ものではありません。
備えができるのは、ご本人がしっかりしている「今」だけです。「うちは円満だから大丈夫」と思っているご家庭ほど、一度立ち止まって考えてみてください。少しでも気がかりなことがあれば、どうかお早めにご相談ください。